午前零時に香ったローズ
「誕生日おめでとう、セノ!」
「ありがとう、カーヴェ」
乾杯の音頭を取ったカーヴェは、なみなみと酒を注いだ杯を一気に飲み干した。隣に座るセノも楽しげな彼の姿を見て、愉快そうに杯を傾ける。
六月二十三日。セノの誕生日会は、例年と同じようにアビディアの森、ティナリの家で開かれた。コレイの得意なピタに、森で集めたフルーツの盛り合わせ、とっておきのキノコと獣肉の煮込み。ティナリとコレイが二人で準備した手作りの誕生日パーティーは、ささやかながら温かい雰囲気に満ちている。
「悪いね、わざわざアビディアの森まで来てもらって」
「大した距離じゃないさ。それに大事な友達の誕生日だ、当日に祝いたいと思うのは当然だろ?」
今日は仕事も休みではないし読みたい本もある、後日改めて祝うと約束しているのだからそれで十分だろう、などといつも通りに淡々と話すアルハイゼンの声音をわざとらしく真似て、あんな薄情な奴と僕は違う、とカーヴェが顔をしかめる。早速酔いが回ってきたらしい彼の様子を見て、さりげなく酒瓶と水差しの器を入れ替えた。いつの間にか祝い事の度に酒場で集まるようになっていたこの四人の会合は、次回はシティでセノの誕生日を祝うことで決まっている。
「セノ、もっと飲むといい! こんな素晴らしい日を、ティナリとコレイと共に祝えるなんて最高だ!」
「ああ、もちろんだ。しかし、当のコレイの姿がさっきから見えないが」
「追加のグラスを取りに行ってくれたはずだけど……確かに遅いね」
ちょっと様子を見に行ってくるよと告げて席を立ったところで、戸口のすぐ外から、ひそひそと話す二人分の小さな声が聞こえてくる。
「ダメだ、これ以上食べたら師匠に怒られる……」
「ほれ、コレイ、遠慮するな! ティナリの奴には言わなければ良いじゃろう」
「あ、あたしはもう大丈夫だ……!」
声を抑えようとするコレイの努力も虚しく、ティナリの良すぎる耳はその会話のすべてを聞き取っていた。戸口に掛けられた葉の覆いを勢いよく上げると、コレイの両手いっぱいにナツメヤシキャンディを握らせようとしている不届きな珍客とばっちり視線が合った。
「……コレイに菓子ばかり食べさせるのは控えるように何度も言ってると思うけど、ファルザン先輩」
「ティナリ! なんじゃ、コレイも喜んでおるのだし、少しくらい構わんじゃろう!」
「ふ、二人とも待ってくれ! その、ファルザン先輩。今日はセノさんの誕生日を祝いにここまで来てくれたんだろう」
「おお、そうじゃ! セノ、誕生日おめでとう! なんじゃ、カーヴェもいたか。もう酔っておるのか? ……まあ良い、この善き日をワシも共に祝おう」
いつの間にか赤い顔で気だるそうに肘をついているカーヴェを横にずいと押しのけて席についたファルザン先輩が、コレイにも隣に座るように促す。賑やかなパーティーになりそうだと呟けば、隣に座ったセノが、いいじゃないか、と嬉しそうに微笑んだ。
◆
「カーヴェさん、帰れるか……?」
「心配には及ばないぞ、コレイ……僕は平気だ」
「まったく、仕方ない。後輩の面倒を見るのも先輩の責務じゃからな……」
「あたし、村の出口まで見送ってくる。師匠は片付けがあるだろうし、家に戻るついでだからな」
「おお! なんと、コレイは優しい子じゃのう!」
「悪いね。じゃあコレイにお願いするよ」
「みんな、今日は俺のために集まってくれてありがとう。次はシティで会おう」
セノと並んで皆を見送れば、あれほど賑やかだった空気が急に静かになったように感じられた。木々の葉擦れがよく響く夜の森に、馴染んだ静寂が戻る。シティに戻る皆の背中が見えなくなるまで見守っているセノを見て、ふと、素朴な疑問が湧き上がる。
「……君は、帰らないんだ?」
「明日は休みなんだ。泊まっていくよ」
「聞いてないけど」
「言っていなかったが。まさか都合が悪いのか?」
「何もないけどさ」
「ならいいだろう」
いつもと変わらないけれど、あまりにも変わりないものだから――当たり前のように隣にいるのを見て、シティに自分の家があるくせに、なんて思ったけど、なんだかそれはうまく言葉にならなかった。
今日こうしてカーヴェたちが森に来てくれたように、今日は来られなかったディシアやキャンディスといった新しい友達も、都合さえつけばセノの誕生日を共に祝いたかったと言ってくれた。次の約束ではカーヴェと一緒にアルハイゼンも祝ってくれるつもりだろうし、セトスも沈黙の殿に来てくれたらみんなで盛大に祝うよ、とわりと本気で考えてくれていた。
「友達が増えただろ。……君の誕生日祝いも、来年はシティで開いた方がいいかもね」
「いいんだ。俺はこのままが良い、ティナリとコレイが森で開いてくれるこのパーティーが、俺は嬉しいんだ」
「……そう。わかったよ」
「お前も、そう思ってくれているんじゃないのか」
そう言うとティナリの家へ、まるで自分の家みたいな気安さで戻っていく。その背中で、大マハマトラの帽子を脱いだ白銀の後ろ髪が不規則に跳ねていた。それを見るたびにあの長い髪にオイルを塗ってやらなければいけないと思うことも、毎回さまざまな植物を用いた配合を試しながらオイルを手作りしていることも、セノにどれだけ友達が増えてもその髪がティナリの知らない香りを纏ったことがないのも、すべて――本当は、このままが良いと思っている。