贈る色は

 今日もトレジャーストリートは活気に富んでいた。日が沈んでもその賑わいは翳ることがない。仕事を終えたセノは真っ黒なローブに身を包み、フードを目深に被っている。近寄りがたいであろうこの風貌にも関わらず、商人たちは意に介さず声をかけてくる。商売魂と彼らが称するそのたくましさは嫌いではない。新鮮な果物、珍しい機械仕掛けのおもちゃ、温かい料理。店に並ぶ様々な逸品がひっきりなしに売り買いされる喧騒の中、贈り物にいかが、と呼び込みをする花屋の声に、セノはふと足を止めた。 「日頃の感謝と愛情を込めて、一輪のスメールローズを贈りませんか?」  立ち止まったセノに、目ざとい店員が素早く駆け寄ってくる。 「リボンを結ったスメールローズ。これが今、一番人気の商品なんですよ」  曰く、リボンの色にはそれぞれ意味がある。  黄色は感謝を、桃色は尊敬を。白は、終わらない友情を。  そして、赤はたったひとりの特別な相手に。  贈る相手を想ってリボンの色を選ぶのだと、花屋は丁寧に教えてくれた。  それぞれが心を込めた色のリボンを結って、ローズを贈り合う。思い返せば例年この時期には、学生同士で菓子や花を贈り合う光景をよく目にする。中でも、今年は特にこのリボンを結ったスメールローズが流行しているようだった。  ――贈り物には良い時期だ。これから会う相手のことを思えば、なおさら。 「では、ローズを一輪もらえるか」 「ありがとうございます。リボンは何色にしましょうか」  問われて、ふと考える。あいつに――ティナリに贈るなら、どの色だろうか。  ひとりの学者として尊敬する気持ちも、長く共に過ごしてきた時間への感謝も抱いている。そして、誰よりも仲が良い親友であり、他に代わる者のない特別な存在にも違いない。どの色も相応しいと思える一方で、どれを選んだとしてもティナリを表すには物足りない。叶うならば、一つ残らずすべての気持ちをティナリに届けたい程だ。  いっそ全部のリボンを結うべきかと考え始めたころ、ざあ、と風がひと吹きした。風に乗ってローブの裾の中に飛び込んできた一枚の葉は、セノの頭上、遥か高みまで伸びるシティの聖樹が降らせたものだった。 「……決めたよ。この色のリボンを結ってくれ」  選んだのは流行の色とは異なる、若草の色。  風に乗る葉のような何者にもとらわれない好奇心と、地中深く根を張る樹木のようにまっすぐな信念。鮮やかな新緑を思わせるこの色に面影が重なったとき、きっとこれは他のどの色よりもティナリに似合うだろうと思えた。      先に待ち合わせ場所に着いたのはセノの方だった。町外れの、ガンダルヴァー村へと続く街道の入口。街道の奥まで見渡せるよう門に背を預けると、ふ、とため息が零れる。見上げた薄暮の空には、ぽつりぽつりと星が輝き始めていた。濃紺に染まる空をじっと眺めていると、夜道に軽快な足音を響かせ、見慣れた立ち耳のシルエットが現れた。 「どう、今夜の星はよく見える?」  待たせたね、と片手を上げてティナリが微笑んだ。 「星を見るには、シティは明るすぎる。大してよくはないな」 「そうだろうね。……ずいぶん君を待たせてしまったみたいだ」 「気にすることはない。悪くない時間だった」  本心から出た言葉だ。ゆっくりと静かに流れる時間、暮れゆく空、セノの存在を気にも留めない街。雑踏に紛れ、目の前を行き交う人々の間にあの見慣れた大きな耳としっぽが揺れていないか、ちらりと視線を向ける瞬間のどこか浮足立つ心。そうしてティナリの訪れを待つ時間は、存外に心地が良かった。  ふと途切れた会話の間に、ぬるんだ夜の風がやわらかく吹く。隣に立ったティナリから、ふわりと甘い花の香りがした。いつ渡そうかと背に隠していた贈り物は、まるでその香りに誘われるように、自然と目の前に差し出されていた。 「ティナリ。受け取ってくれないか」 「僕に?」 「ああ。シティで流行っていると聞いて、お前に贈りたくなったんだ」  若草の色のリボンを結った、一輪のスメールローズ。セノが差し出したそれを優しい手つきで受け取って、ふふ、とティナリが笑った。 「この色、どうして?」 「これが一番お前に似合うだろうと、そう思った」 「そ。……気に入ったよ、ありがとう」  ティナリはそれきり花に視線を落として、ゆびさきでくるくると若草のリボンを弄んでいた。表情は澄ましているけれど、ちらりと確かめたしっぽはゆったりと揺れている。ティナリが喜んでくれたのなら嬉しい。満ち足りた気持ちで眺めていた横顔が、向けられた視線に気づいてふとこちらを向いた。 「前にシティでドライフラワーが流行ったの、セノは覚えてる?」 「ああ。花の乱獲を防いで新たな価値を生み出した、あれは名案だった」 「今回もあの時と同じでね。スメールローズは珍しい花ではないけれど、不用意に森を荒らされたくはない。だから、これもアビディアの森のレンジャーたちで集めたんだ」 「……お前が摘んだものを買って、お前に渡していたとは。滑稽だったか」 「まさか。あの花がこんな形で返ってくるなんて、嬉しい驚きだ」  なに気にしてるんだよ、なんてからかうようにティナリが片肘でぐいぐいと押してくる。言われるうちに気恥ずかしくなって、思わず顔を背けた。ふん、と小さく鼻を鳴らすと、拗ねるなって、といたずらっぽくティナリが笑う。それでも意固地になってそっぽを向いていれば、ひとつ名前を呼ばれる。 「セノ」  そうやってティナリに呼ばれたら、セノが無視などできないと知っているくせに。ぷいと背けた視線の先にティナリが回り込んできて、しぶしぶ目線を上げる。  目の前で、ティナリが一輪のローズを差し出していた。 「僕も同じなんだ。これを、君に贈りたい」  ――先ほどセノが贈ったものとよく似た、赤いリボンを結ったローズ。 「恋人に贈る流行りの赤とは違うよ。僕も、君に渡したい色はそれじゃなかったから」  付き合いが長くなると考えることまで似てくるのかな、などと呟きながら、結ったリボンがよく見えるようにとセノの目の前にかざした。  ほら、君にぴったりだ――そう言って、満足気にティナリが笑う。 「これ、君の瞳の色なんだ」 「……そうだったか」  受け取ってリボンの色をじっと見てみたけれど、これが自分の目と同じ色なのだと、言われてみてもよくわからない。わからないけれど、きっとその通りなのだろうと思った。表情も、感情も、瞳の色も。セノが自分自身でさえわかっていないことを、ティナリはいつもよく知っている。 「お前はいつも、俺をよく見ているな」 「不本意ながら、そうかもしれないね」  なにせ最近は君がジョークを口にするタイミングだってわかってしまうんだからね、なんて顔を顰めてみせるティナリを、今度はセノの方からぐいと肘で押し返した。揺れるしっぽを見なくても、ティナリが本当にそれを嫌だと思っているわけではないのだと――それくらいは、セノもわかっている。