紅色のおくりもの

 ひたひたと、聞き覚えのあるかすかな足音で目が覚めた。  静かに寝台を降りて、戸口までの数歩の距離を、ひやりとした床木の冷たさを足裏に感じながら歩く。大きな葉の覆いを上げて外を窺い見れば、朝の霧にけぶる森の向こうで、見慣れた二つ耳の頭飾りが揺れていた。 「やあ、セノ」 「……すまない。起こしたか」 「ううん。そろそろ君が来るような気がしたんだ」  いまだ空は仄かに白み始めたばかりで、森の空気は朝露の湿り気を帯びていた。温暖な気候のアビディアの森でも、夜明け前はわずかに冷える。近づいてきたセノの手を取ると、その手もいつもよりわずかに冷たく感じられた。その手を引いて、温かい室内に招き入れる。 「ティナリ。これを」  セノが手渡してくれたのは、小さな紙包みだった。そっと開くと、中から転がり出した美しい真紅が手の内にいくつもこぼれ落ちる。赤念の実――砂漠の厳しい寒暖差に晒されたサボテンが実らせた、力強い生命力に満ちた果実。 「誕生日おめでとう。森で美しい草花に囲まれて暮らしているお前に、花束代わりと言うのも何だが……」 「わ。集めてくれたの? こんなにたくさん」 「しばらくの間、公務でずっと砂漠にいたんだ。それで、これくらいしか手に入らなかったんだが」 「嬉しいよ。……忙しいのに、今日のために用意してくれたんでしょ」  熟れた真っ赤な実をひとつ手に取る。綺麗だった。砂漠の奥深くでしか見つけられないこの果実は、たとえセノにとっては身近なものでも、森で暮らす僕にとっては縁遠い。だからこそ、セノが砂漠で過ごしていた時間を感じられる素敵な贈り物だと思った。 「ありがとう、セノ。会いに来てくれて。それにプレゼントも」 「せっかくの誕生日だ、他にも準備できれば良かったんだが」 「いいのに」 「俺が、ティナリに贈りたいんだ。……そうだな、じゃあ砂漠を歩きながらひらめいたとっておきのジョークを」 「ほ、本当にいいから、それは……」 「そうか」  ただでさえ冷え込む夜明け前。これ以上、身も心も冷やすわけにはいかない。  ごめん、後でゆっくり聞いてあげるから。 「だったら、そうだな……今日はお前のしたいことを、なんでも叶えてやりたい」  そう言って、今度はセノが僕の手を取った。触れた手のひらは今もまだ温まりきっていない。きっと昨夜の砂漠は森よりもずっと冷え込んでいた。それでも、今日という日のために来てくれたのだ。その想いを汲みたいと、少しでも暖まるようにとその手を握って体温をなじませる。そうしているうちに、ひとつ思いついたことがあった。 「そうだ。ちょうど君に頼みたいことがあるんだ」 「ああ。俺にできることなら、何でも」  まっすぐな紅い瞳は、それこそどんな頼みだって叶えてくれそうな真剣さで、簡単に安請け合いするんだから、なんて言って笑った。 「実は、コレイを始めとしたレンジャーのみんなが気を遣ってくれてね。今日は一日、休暇をもらったんだ」  寝台に腰掛けて、毛布をめくる。本来は一人分しかないそのスペースを半分空けて、ぽん、とそこを叩いた。 「だから……そうだね、まずは二度寝に付き合ってくれない? たまには朝寝坊をしてみたい気分でさ」  それから、今日は寒くなりそうだから僕のしっぽを抱えたっていいよ、とセノに向けてちらちらと揺らして見せた。  そうして差し出した自慢のしっぽは、身体ごとぎゅっとセノに抱きしめられる。そのまま飛び込むみたいに寝台に乗り上げて、互いにもつれ合いながら倒れ込んだ。  手のひらを飛び出して枕元に転がった赤念の実の代わりに、セノのどこか浮かれた色合いの紅い瞳が、いまにも触れそうな距離で見下ろしてくる。 「よし。今すぐ寝直すぞ」 「寝るって言ってる奴の勢いじゃないだろ、それ」 「ティナリの誕生日はもう始まっているだろう。一刻も惜しいんだ」  ――まったく、どうして君の方がそんなにはしゃいんでるんだよ。  それがなんだか可笑しくて仕方なくて、夜明けが近づく薄明の空を窓越しに見上げながら、油断している唇に不意打ちのキスをお見舞いしてやった。