ふたりきりの結婚式をしないティナセノ(仮題)

 古めかしく重たい扉を開けた先、目の前に大きく広がる色とりどりのステンドグラスが、太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。  風花祭に合わせて訪れたモンドで、風龍廃墟と呼ばれている旧モンド領をセノと二人で散策していた日のことだった。偶然見つけたその古びた建物は、持っている地図には載っていなかった。それほど大きくはないが、風神を祀る教会のように見える。白を基調とした優美な装飾が施された外装からは、神聖で荘厳な雰囲気が漂っていた。 「モンドの人々は篤く風神を信仰している。教会となれば、誰かが定期的に手入れをしているのかもしれないな」  冷静に状況を分析しながらも、両開きの重厚な扉を軽々と開いて躊躇いなく中に入っていったセノを、早足で追いかけた。床には分厚い埃が積もっていて、セノの歩みに合わせてふわりと舞い上がる。それの正体が塵でしかないと知っていても、光を帯びて歩く度にきらめけば、教会そのものの美しさも相まってどこか神秘的にさえ見えた。 「……確かに、綺麗だね」  セノの言葉を受けて、辺りを見渡す。日常的に使われている気配はないけれど、朽ちたり壊れたりしている箇所は見当たらない。かつては婚礼や式典に使われていたのだろうか、品のある調度品と華やかな建築様式、特に光を取り入れて七色に輝く大きなステンドグラスが目を引く。  風神信仰の強いモンドでは、婚姻の際には教会を訪れ、風神の前で誓いを立てるのだと聞いたことがある。そういった用途で使われていた場所なのかもしれない、と呟いて、とりとめもなくセノの後ろ姿を眺めた。折しも昨晩、久しぶりに身体を重ねたばかりだった。曖昧に視界に捉えたセノの背中のなめらかな肌、昨晩自分の下で跳ねていたそれが、交わした熱を想起させる。  けれども、どれほど近づこうとも――僕たちの間に、誓いはない。 「ティナリ」  ステンドグラスを透かした七色の光を浴びたセノが、祭壇の前で振り返って僕を呼ぶ。陽光を帯びたちいさな光の粒が舞っていて、きらきらと、輝いて見えた。 「誓おうか。これからも、お前と共にあると」  僕の思考を読んだかのように囁かれたその甘い言葉を、その先にあるものをほんの少しだけ思い浮かべてみたけれど――やっぱり、答えは決まっていた。 「いや、いいよ」 「そうか」  セノも、それ以上は何も言わなかった。  だって――神に、国に、規則に。  君に誓いを立てさせるなんて、もう十分だろう。 「僕たちは、誓いがなくても、あったとしても――何も変わらない。そうだろ」 「ああ……そうだな」  僕の言葉に頷いたセノは、興味を失ったように祭壇の前から離れる。こちらを向いて、相変わらずのわかりにくい微笑みを浮かべていた。それを笑顔なのだと理解してやれるのはごく親しい者だけで、けれども、僕はセノのその微笑みを存外気に入ってしまっている。  目の前で立ち止まったセノと、同じ高さの視線がかちりとぶつかった。ぐ、とそのまま引き寄せられて、触れるだけのキスを落とされる。 「それでも。これからも俺はティナリと一緒にいるだろうと、信じているよ」  いつも通りの仏頂面で、けれども真摯に、まっすぐにセノが言う。そのうつくしい紅い瞳が、僕だけを映していた。 「そう。……じゃあ、目移りされないように、僕も精々努力するよ」  そんなふうに嘯いて、笑って、今度はこちらから口づけた。触れた唇の熱が、抱き寄せた体温が、そこにあるのだと確かめるように。  それきり、あとは静寂だけが辺りを包む。二人きりの教会に、七色の光がきらきらと優しく降り注いでいた。